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 続編ニュース 14号                  2004.4.11
  ◆目次◆     
    編集部より
    片桐史裕先生の原稿
    川崎瑞枝先生の原稿
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 ●編集部より
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会員のみなさん、執筆者のみなさん、脚本提供者のみなさん、こんにちは。
続編ニュース13号をお届けします。

片桐史裕先生、川崎瑞枝先生の原稿からは一度提出したものをさらに修正した原稿が届きました。
ありがとうございました。すでに原稿を出された方でも、修正や書き加えがありましたら、この
お二方のように積極的にお願いします。

原稿は、4月末日が締め切りです。あと3週間です。余裕を持ってお書きください。

原稿 → メールで重水までお送りください。
録音(カセットテープ・ビデオテープ)
   → 〒101−0064
     東京都千代田区猿楽町2-1-8三恵ビル4F  株式会社 高文研 山本邦彦様
     TEL 03−3295−3415 へ  ご郵送ください。

よろしくお願いします。

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 ●片桐史裕先生の原稿
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高校 授業の中の群読
表現して理解する――「飲酒」陶潜
新潟県立県央工業高等学校 片桐史裕

(解説)
 高等学校の古典学習のうち、生徒たちの日常と最もかけ離れていると私が考えるのが中国の韻文、漢詩です。外国の古典であり、しかも非常に少ない字数で表現されています。語順が日本語と違うので語順を表す記号の返り点と片仮名の送りがなを頼りに、難しい字を読むのに精一杯で、詩の真意にまで迫ることのできる学習になかなか行き着けません。しかもこの陶潜の「飲酒」は、更に難解な詩で、世俗とは離れたところに生きている陶潜の境地を表現したものです。
 しかし、この詩は、文字の少ない表現のうちに、人間の「真意」が表されていると思うので、ぜひ生徒たちによんでほしい詩です。この詩は一語一語を解釈して理解するものではなく、全体の雰囲気、風景、話者の状況をイメージし、感じ取るものだと考えました。そのイメージをつかませるために群読をおこないました。この実践は二〇〇〇年度、新潟県立堀之内高等学校二学年国語における実践の報告です。

(読み手)
A、B、C、Dの4人

(演出ノート)
 四人グループを作り、各グループで脚本を自由に作成させました。気になったところ、表現のポイントとなるところを考え、グループの合意によって脚本を決めさせました。また、その工夫点をシナリオ提出の時に記述してもらいました。従って各グループにより脚本は全く違います。あるグループは単に四人が順番に各句を朗読するものでした。また、あるグループはこの詩の中心となる部分を読み取り、そこが表現に表れるように脚本を工夫しました。工夫点がよく現れている群読脚本を二編紹介します。


(脚本 その1)数字は句番号
 
  ABCD 飲酒(いんしゅ)
  ABCD 陶潜(とうせん)
1    B 結廬(いおりをむすびて)
    AB 在人境(じんきょうにあり)
2    C 而(しかも)
    CD 無車馬喧(しゃばのかまびすしきなし)
3    A 問君(きみにとう)   
    AB 何能爾(なんぞよくしかると)
4    D 心遠(こころとおく)
    CD 地自偏(ちへんなればなり)
5    A 采菊東籬下(きくをとるとうりのもと)
6    B 悠然見南山(ゆうぜんとしてなんざんをみる)
7    C 山気日夕佳(さんきにっせきによく)
8    D 飛鳥相与還(ひちょうあいともにかえる)
9 ABCD 此中有真意(このうちにしんいあり)
10 ABCD 欲弁已忘言(べんぜんとしてすでにげんをわする)

【生徒の工夫点】9句は元気よく読む。10句はどんどん暗い感じにするために、人数を一人ずつ減らす。
【教師の評価】 その1の理解の中心は、第10句の「欲弁已忘言」であることが分かる。詩の中の第9句、第10句の「分かったけれども言葉を忘れた」という矛盾した表現を「人数を一人ずつ減らす」ことにより表現しようとしている。


(脚本 その1)数字は句番号
 
  ABCD 飲酒(いんしゅ)
  ABCD 陶潜(とうせん)
1    A 結廬在人境(いおりをむすびてじんきょうにあり)
2 ABCD 而(しかも)
     B 無車馬喧(しゃばのかまびすしきなし)
3 ABCD 問君(きみにとう)
     C 何能爾(なんぞよくしかると)
4    D 心遠地自偏(こころとおくちへんなればなり)
5    A 采菊東籬下(きくをとるとうりのもと)
6    B 悠然(ゆうぜんとして)
  ABCD 見南山(なんざんをみる)
7 ABCD 山気日夕(さんきにっせきに)
     C 佳(よく)
8    D 飛鳥相与(ひちょうあいともに)
    AB 還(かえる)
    CD還(かえる)
9 ABCD 此中有真意(このうちにしんいあり)
10    A (べんぜんと)
     B(ほっして)
     C(すでに)
     D(げんを)
  ABCD(わする)

【生徒の工夫点】
 8句の「還る」の部分は詩の「鳥がおうちに帰るためにみんなで飛んでいる雰囲気を出すため」に繰り返して飛んでいる様子を表現した。

【教師の評価】
 その2の理解の中心は第8句の「還る」の部分です。第9句の「此中有真意」の指示語「此」の指すところを第8句の「還る」と捉え、繰り返しという表現技法を使うことにより、印象づけている。
 2つのグループは表現は違いますが、どちらもこの詩の「真意」をイメージできている群読脚本となっている。

(発展)
 詩や歌などの韻文の群読脚本を生徒に作らせることにより、韻文の読み取りをするという学習でした。このような学習をすることにより、その題材が生徒の体の一部となり、身近に思えるようになってほしいという願いを持った活動でした。
 各グループで脚本を作り、練習、クラスの前で発表ということで学習を締めくくりました。
 群読の技法をほとんど生徒に伝えず、ゼロから生徒に脚本を作らせたため、ほとんどの班で、群読ではなく「分読」のシナリオとなってしまったことが反省点です。事前に群読技法の数種類を提示したり、群読CDにより群読の例を示したりすることにより、生徒のイメージはどんどんと大きく広がっていったと思います。
 また、群読の表現を考えることにより各自が詩の内容を解釈していく過程が見えました。群読の表現に理由をつけさせる(どうしてそのような表現にするのか書かせる)ことにより、生徒にとって学習の目標が明確になったためだと思います。


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●川端瑞枝先生の原稿
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第U章 学級・学年・全校活動の中の群読  低学年

★ 古典を楽しむ    ー弁天小僧になりきってー
               宮崎県・都農町立都農小学校   川崎 瑞枝

〈 解説 〉

古典の群読は中学校からでしかできないのか、小学校でも中学校へとつなぐ指導が何かあるのではないかと考え、小学校1年生で行った記録である。古典研究部の毛利豊先生には、実践上の多くのご助言を頂いた。
「青砥稿花紅採画(白浪五人男)」(河竹黙阿弥)の「弁天小僧」の台詞のテープを聞かせた所、大変興味を示し、ラジカセに耳をくっつけて聞き入る子どもや、皆の前で真似して見せる子どももいた。
 そこで10日後にある参観日で発表する気がないか聞いてみると5人が喜んで引き受けた。
 テープは聞き取りにくかったので、台詞を印刷して配り、テープを聞きながら読んでみた。そして5人でこの台詞を分けて覚えた。子どもたちは、声を低くしたり、裏返 したり、首を振ったりと、自分がテレビやテープから感じ取った「古典の言い方」で表していた。当日は、傘を差して後ろ向きに並び、台詞を言うときに、一人ずつ振り返るようにした。「隈取り」もし、気分はもう歌舞伎役者だった。参観して下さったあるおばあさんから「ありがとう」と言われたと一人の弁天小僧が教えてくれた。
 練習が進むにつれ、他の子ども達も自然と台詞を覚えるようになった。図工の時間、誰かが絵を描きながら、「知らざア言って」と口ずさむと、別の子どもも一緒に言い始め、その声がだんだん教室中に広がっていき、いつの間にか全員が暗唱していることに気づいた。そこで、参観日の後、これを群読にし、全員で読むことになった。5人の台詞の後を、繰り返して読むのはどうかという意見も出たが、ほとんどの子どもは、自分達も一緒に読みたいと言った。長い台詞を覚えていえるということがうれしかったのだろう。

< 読み手・演出ノート>
 ・アンサンブルは4人ずつで、ソロはアンサンブルに1人ずつ入り、アンサンブルの台詞も一緒に読む。
・全員後ろ向きに並び、自分の台詞が来たら、前を向く。
・間の取り方が難しいところ(※)は、拍子木を使う。
・最後の全員の台詞で、腕と足を前に出しながら、「見得」を切る。

< 群読脚本 >

ソロ12345   知らざア言って 聞かせやしょう

アンサンブル1  浜の真砂と五右衛門が 
歌に残した盗人の 
         種は尽きねえ 七里ヶ浜
         その白波の 夜働き

アンサンブル2 以前を言やあ 江ノ島で 
         年季づとめの 稚児ヶ淵
         百味講でちらす 薪銭を 
         当てに小皿の 一文子 

アンサンブル3  百が二百と 賽銭の 
         くすね銭せえ だんだんに 
         悪事は上る 上の宮

アンサンブル4  岩本院で 講中の 
枕探しも 度重なり
         お手長講の 札つきに 
とうとう島を 追い出され 
         
アンサンブル5  それから若衆の 美人局
         ここやかしこの 寺島で 
        小耳に聞いた とっつぁんの 
        似ぬ声色で 小ゆすりかたり

ソロ3      名せえゆかりの弁天小僧

ソロ12345  菊之助たア※ 

全員       お・れ・の・こ・と・だァ。

< 発展 >
子どもは、NHK教育テレビ「にほんごであそぼ」を見ており、そこで覚えた古典の一節をよく口ずさんでいた。「じゅげむ」は6割の子どもが暗唱していた。弁天小僧の台詞もこの番組で取り上げられていた。テレビの影響は大きい。
教室では、年間通していろんな「わらべうた」を歌ってきた。子どもたちは、意味の分からないものもすぐ覚え、何度も繰り返して楽しむ。しぜんと口ずさむ所を見ると、それが心地よいように思われた。また、「気どり読み」や「見得を切る」のも恥ずかしがらず、のびのびと表現する。
学年末のあわただしい時期に取り組み始め、欠席者が続いたことで、これ以上脚本を話し合う時間がとれなかった。また「気どり読み」に限らず、もっと古典群読について教師自身の知識が必要だった。 いろんな楽器を使えば、より楽しい演出ができ、子ども達の興味も更に広がっていただろう。たいへん課題が多く残った実践だったが、子ども達が役者になりきって楽しめたのは、本当にうれしいことだった。また、音読を苦手に思っていた子どもが、この台詞は、家でも学校でもすすんで読んで聞かせてくれたのは、とても喜ばしいことだった。

 < 参考文献 >
・高橋秀雄 総監修・著『日本の楽器/日本の音4/歌・合奏』(2002年、小峰書店)
・市川染五郎 監修 小野幸恵 著『日本の伝統芸能はおもしろい@ 市川染五郎の歌舞伎』
 (2002年、岩崎書店)


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***2004.7.29 東京日本青年会館 第3回群読大会を成功させましょう****

 重水 健介(日本群読教育の会事務局)sakunayo@ngs2.cncm.ne.jp

 日本群読教育の会 http://gundoku.web.infoseek.co.jp
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