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 続編ニュース 08号                2004.2.18.

  ◆目次◆     
    会員の方からのメール
    新執筆者のご紹介
    毛利 豊先生の原稿(再掲)T第1章 授業のなかで使われている群読 中学校
    毛利先生からの問題提起 「古典」に創造性はあるのだろうか  
    群読ワンポイントレッスン 3 「無声音」
高校の部の執筆立候補、自薦・他薦ありませんか
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 ●会員の方からのメール
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  毛利先生も澤野先生もそれぞれ個性的な書き方考え方でとても興味深く拝見しました。

 
 ニュースありがとうございました。私は那須野与一のあたり、大好きなんですよ。一人で(群読じゃないけど)やってみます。ありがとうございました。

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 ●新執筆者のご紹介
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 伏見薫先生は、小学校の先生です。とてもよい実践をなさっている先生です。
 国語の授業で取り上げた「ともだち」「日づけとよう日」を題材にした実践をお書きいただけることになりました。ありがとうございます。よろしくお願いいします。

 ★伏見薫先生より★

 原稿の件は,14日に家本先生からお話しをいただいたいたときはレポート程度(?)かと軽い気持ちでお受けしたのですが・・・。「出版」物の原稿だったのかぁと,改めてお引き受けしたお仕事の大きさにとまどっています。まとまった原稿が私に書けるのか気がかりですが,努力させていただきますのでよろしくお願いいたします。
 原稿の件ですが,の実践内容は「第1章 授業のなかで使われている群読」になるか
と思います。国語の教科書の作品「ともだち」を題材にした実践と「日づけとよう日」を題材にした実践を家本先生にお聞きいただきました。よろしくお願いいたします。


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 ●毛利先生の原稿  T 第1章 授業のなかで使われている群読 中学校
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 ニュース7号では、第1稿を掲載してしまいました。修正した完成稿を書いてくださっ
ていたのです。お詫びしてあらためて、ご紹介しましす。



★古典にいどむ―――扇の的・『平家物語』から―――【完成稿】★

                富山県・滑川市立滑川中学校  毛 利  豊

《解説》
 
 中学校国語科の定番教材として『平家物語』がある。
 一年生はお伽話で古典学習に導入し、その発展として、口承文学であり比較的現代語に近い『平家物語』が二年生に配列されることが多い。
 この群読実践も、中学二年生を対象に『平家物語』を学習し、その後に発展学習として行ったものである。しかも研究授業という場を借り、教師の集団思考と生徒の集中を生み出しやすくした。


《演出ノート》

1『脚本集』にある家本芳郎氏原作「那須の与一」は、長くて五日制下の授業ではやや持て余す。そこで教科書で原文を示している「山場」だけにし、約三分の一に切りつめた上で潤色して脚本化した。

2 三つの生活班を一学習グループにして、教室にA・B二つの学習グループを作った。 一グループは一七名程度となった。

3 読み方は、くっきり・かっきりと読む「楷書読み」
      〈ぞー連体形〉を強調する「係り結び」の強調
       大仰に気どって読む「気どり読み」
       固有名詞を特にくっきりと読む「固有名詞の楷書読み」
       長い文を割って複数の者で渡していくように読む「わたり」
       矢が軌跡を描いて扇に命中する部分の「追いかけ読み」に留意させた。

4 普通の音読の発声法とは違うので、あらかじめ「歌舞伎」「池上中学校の古典群読」などを録音テープで聞かせ、参考にさせた。

5「効果」として、拍子木(剣道部から借用)の音、紅白の旗(同じく剣道の審判旗)を用意し、机・イスを並べた「雛壇」上で発表させるなど、雰囲気づくりに心がけた。




《群読脚本》     家本芳郎氏 原案   毛利 豊 潤色

語り手全員 「平家物語」 巻の十一より 「那須与一」

効 果   ほら貝の音

語り手1  ころは二月十八日の酉の刻ばかりのことなるに、
+語り手2 をりふし北風激しくて、磯打つ波も高かりけり。
語り手3  舟は、揺り上げ揺りすゑ漂へば、
語り手4  扇もくしに定まらずひらめいたり。
平家方   沖には平家、舟を一面に並べて見物す。
源氏方   陸には源氏、くつばみを並べてこれを見る。
+平家方  いづれもいづれも晴れならずといふことぞなき。
語り手5  与一目をふさいで、
与一   「南無八幡大菩薩、我が国の神明、日光の権現、宇都宮、那須の湯泉大明神、願はくは、あの扇の真ん中射させてたばせたまへ。これを射損ずるものならば、弓切り折り自害して、人に二度面を向かふべからず。いま一度本国へ迎へんとおぼしめさば、この矢はづさせたまふな。」
語り手5  と心のうちに祈念して、目を見開いたれば、
語り手1  風も少し吹き弱り、
語り手2  扇も射よげにぞなつたりける。
語り手5  与一、かぶらを取つてつがひ、よつぴいてひやうど放つ。小兵といふぢやう十二束三伏、
      弓は強し、
語り手3  浦響くほど長鳴りして、
語り手4  あやまたず扇の要ぎは一寸ばかりおいて、
語り手1  ひいふつとぞ
語り手2  ひいふつとぞ
語り手3    ひいふつとぞ
語り手4      ひいふつとぞ
語り手12 射切つたる。
源氏・平家方 射切つたる。
語り手1  かぶらは海へ入りければ、
語り手2  扇は空へぞ上がりける。
語り手3  しばしは虚空にひらめきけるが、
語り手4  春風に一もみ二もみもまれて、
語り手1  海へさつとぞ散つたりける。
語り手全員 かぶらは海へ入りければ、扇は空へぞ上がりける。しばしは虚空にひらめきけるが、春風に一もみ二もみもまれて、海へさつとぞ散つたりける。
語り手1  夕日(せきじつ)のかかやいたるに、みな紅の扇の日出だしたるが、白波の上に漂ひ、
語り手2  浮きぬ
語り手3  沈みぬ
語り手4  揺られければ、
平家方   沖には平家、ふなばたをたたいて感じたり、
源氏方   陸には源氏、えびらをたたいてどよめきけり。


《発展》
 A・B両グループが前に出て発表しあった。そして、お互いに良いところ=学びたいところを、「知・徳・体」の三観点から指摘しあった。その後で、授業者の私が、録画映像をその場で再生して見せながら、生徒の気づかなかった良さを指摘して、今後の参考にさせた。
 授業の終わりの「振り返りカード」には、次のようなさまざまな感想があった。
「古典の群読は難しいけど、みんなで一生懸命やると前より倍楽しかった。」「『へいけ』は『へーけ』にならずにくっきりと読めたが、固有名詞の楷書読みが不十分だった。」「係り結びの発声を工夫した。」「強調の前で『間』をとったら効果が出た。」「まだ恥ずかしくて気取って読むのが足りない。」等々…。
 普段は授業妨害ばかりしている生徒が、録画機器の片づけ役を自主的に買って出、リーダーの生徒と肩を並べて職員室まで運んでいく後ろ姿を、私は不思議な思いで見送った。またそれ以後、国語の授業に私が顔を見せると、他の問題を抱えた生徒が「へ・い・け物語!」と叫んであいさつ?をしたりした。
 今後の教訓として残ったのは、読解学習での音読段階から「へ・い・け」と楷書読みを意識させた方が効率がよいこと、『歌舞伎遊び』などをした後で群読をした方がよいこと、他の教室に出ている国語科教師と合意できればどの学級でも行い、選り抜きのスペシャルチームを編成して予餞会などで発表するか選択授業で取り組むと、専門家はだしのもっと高度な群読に仕上がる可能性があること、などである。



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 ●「古典」の群読に創造性はあるのだろうか・・・毛利豊先生からの問題提起
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 毛利豊先生からは、上記の完成原稿をいただいたのですが、執筆の過程で、いろいろな葛藤がありました。下記は1月下旬にいただいたメールと、それに対する編集部内のやりとりです。ご紹介します。みなさんもいろいろなご意見をお寄せください。会員みんなの意見を反映させながらよりよい本をつくりたいと思っています。


★毛利豊先生より
 明日、地元の児童館主催の「表現文化祭」で今年の平家物語の群読上映もしてきます。その編集をしていて思ったのですが、これは果たしてCDにして販売し、後世にまで残すような代物だろうかということです。

 古典群読は、今年の夏の大会で大人相手に始めて経験し、この子どもたち相手にやったのが2度目。やってみて反省や教訓がたくさん残った、かけだし実践です。あと数年もすれば、少しは満足のいくものになるかもしれませんが、まだ発展途上過ぎます。というか始めたばかりです。古典群読は、発声が違うので特殊です。

 池中の平家ー衣笠の合戦ーは、昔テープ販売されましたが、これこそCDにしておかないと、テープが劣化して、歴史に埋もれてしまいます。ただ、いきなり最高峰を出してしまうと翌年から誰も出せないという難点はあります。

 完成原稿もできましたし、ビデオテープも高文研に送れますが、ここに来て、今年は投稿を辞退し、来年の再起を図るべきではないかと、迷いが生じてきています。どう思われますか。


★片桐史裕先生より
 こんにちは。片桐です。昨年夏の大会で、古典群読を担当させてもらって、感じたことなのですが、古典群読のみが多様性を認められず「完成形」に近づく活動だったんじゃないかなぁ?と思います。

 特に「詩」の群読と比べると、古典の場合、演じる人の自由が少なかったんじゃないかなぁと思うのです。揺るぎない「完成形」が存在する場合、その「完成形」に児童・生徒を近づけていくには、特に部活動ではなく授業で群読をしていくにはとても難しいところがあると思います。

 児童・生徒が自分たちで作っていく部分がないと、意欲が湧かなくなるという面もあります。そこら辺が難しいところで、毛利さんが学校で実践してみて悩んでいるところではないでしょうか?私は、是非そういう悩んでいるところ、難しかったところを原稿として載せてもらいたいと思います。児童・生徒がどこにつまずいたのかという部分が非常に知りたいところでもあります。


★毛利豊先生より
 揺るぎない「完成形」に近づく…これは至言だと思います。まさに古典群読はそういう感じです。正解主義の音読とも言えるかもしれません。好きなものが任意に集まってやるのでなければ成立しない世界のような気がします。

 木下順二が狂言役者や現代演劇の役者などを集めて『智盛』をやり、『子午線の祈り』をして以来、そしてその延長線上に池中実践『衣笠の合戦』が生まれて以来、後戻りできなくなっています。伝統芸能の発声法ー気どり、高出し、落とし、などが、前提となります。

 しかし、教室でどの子も参加してやるときには、古文をすらすら音読すること自体が課題である上に、発声まで変えるのは大きな障害となります。その前に、なぜそうするのか疑問だ、するのはわかっても恥ずかしい、という心理が働きます。全員授業でやることではないかもしれません。やるなら、もって行き方(導入・動機付け)に、よほど特殊な仕掛けが必要となる気がします。その前に、指導者自身が試行錯誤を繰り返している段階では、確信をもった指導ができるわけもありません。だから程度も上がりません。

 夏の大会で困ったのもそういうところでした。片桐氏の自己モニター方式は、明らかに参加者の中から相互に作っていくものでした。しかし、私が初めやろうとしたのは、狂言役者が子どもを小さいときから仕込んでいく教育法ー理屈抜きで「型」を押しつけるーでした。

 実施の段になって迷いが生じ、両者が混在し、どっちつかずのものになったと思います。それで、小川氏と、なんか予定と全然違うものになってしまったね、と苦笑し合いました。
 今回のは、習作ということで、群読のHP上での公開(無料)にとどめ、書籍代金を払って聞いてもらうCDには入れなくてよいのではないかと考えます。実践記録の末尾にでも、HPから聞くことがで
きますと、URLを記しておけば聞きたい人は自由に聞けます。毎年、平家実践を追加していけば、発展の様子もわかりやすい利点も出ます。

 型を注入するのか内側から開くのかという指導の在り方の本質的な問題と、指導者の単なる不慣れという初歩的な問題と、両面がからみあっているのかなと思います。


★重水より
>揺るぎない「完成形」に近づく…これは至言だと思います。

 そうなのでしょうか。たしかに、芸術として作品を群読で表現するときは、「歌舞伎」
「狂言」のような伝統芸能の型があり、それに(完成された型に)いかに近づくかを追求するものだと思います。私事ですが、当方の母が日本舞踊をやっていて、そこでの稽古は、まさに、師匠が弟子にその型を伝えるという風に見えます。だから、毛利・片桐両先生の言われることもわかるのですが・・・。

 わたしたちが取り組んでいるのは、群読教育ですから、詩であろうと古典であろうと、「取り組み過程でグループの協力性はどうだったか」「教材解釈はどうか」「分読の分担は適切か」「表現は工夫されていたか」「感動を与えたか」というところが評価されるのだと思います。いま、やっているのは初級編だと思いますので、まずは、こちらの提示する「型」を忠実に表現することに重心をおいて指導するわけですが、入門編を経た後は、自分たちで解釈をして読みを工夫できるのではないかなあ、と思っています。
 
 以前、20年近く前ですが、家本先生の群読講座で、「平家」に取り組んだことがありました。そのときは、グループで分読の分担を決め、強弱や読む速さを考え、ホラ貝なども工夫して発表したことがありました。古典だから、「完成形」に近づくことを目標とするということにはならないと思います。ですから、毛利先生が、なさった実践を続編で発表し、CDにも載せ、先生自身がお考えの疑問も、その原稿に書いたらいいと思ったので、そのまま原稿も録音もお寄せくださいといいました。

>その前に、指導者自身が試行錯誤を繰り返している段階では、確信をもった指導ができる>わけもありません。だから程度も上がりません。夏の大会で困ったのも、そういうところ>でした。>片桐氏の
自己モニター方式は、明らかに参加者の中から相互に作っていくもの>で>した。しかし、私が初めやろうとしたのは、狂言役者が子どもを小さいときから仕込>んでいく教育法ー理屈抜きで「型」を押しつけるーでした。

 入門期だからそれでいいのではないかなあ。先生のご意見にはいろいろなお考えの方がいると思います。こうした、寄せられた意見を交流して、編集部の中で詰めていっていいでしょうか。


★毛利豊先生より
 先日の建国記念日に、富山市での「リア王」を、最前列・無料で観ました(中高生ご招待の引率です)。富山県の平村(平家の落ち武者が開いたといわれる)で育ち、世界的に有名になったスズキメソードの、日本発の独特の演劇です。
 
 それに先だって、演出家の鈴木忠志氏の講演も聴きました。彼は、講演の中で、概略、次のように言っていました。

「世界に認められるには、独自性がなくてはならない。しかし能や狂言では、単にエキゾチックで片づけられてしまう。しかし、リア王なら彼らも知っている。だから、向こうの土俵に入ってリア王を我々のやり方で演じて見せなければ勝負にならない。それで、リア王をやろうと思った」

「イギリスのアカデミーはみんな名前で騙されているが、たかだか40年しか歴史がない。しかし、ロシアの新劇は100年の歴史があり、我々のお手本だ。今度そこに呼ばれ、定期講演の演目となったのは、感慨深い。しかし、マンネリに新風を吹き込む、客寄せのための政治利用?だろうがー」

「日本人は、同質な者同士の心理のすれ違いややり取りがドラマだと抜きがたく思っている。しかし欧米は、異質な者同士の論理と論理のぶつかり合いがドラマだと考えている。そして、体全体からほとばしり出る勢いで主張し、非難し、説得し、激しくぶつかり合う。(それが嫌だと感じる人と良いと感じる人がいるが)」
 実際、そういう目で見てみると、なるほど、役者たちの身のこなしはまさに能役者や狂言役者と同じ日本の伝統芸能のそれであり、口からつばを飛ばし汗をだらだら流しながら大音声で呼ばわりあう様は、気迫のこもった群読「平家」そのままです。

 近年流行の、内面から引き出す、即興的な「ドラマ教育」とも、いわゆる新劇(現代劇)とも、明らかに違っています。つまり能でリア王をやっていたのだと分かりました。(だから女役も、男が演じるんですね。しかし男の看護婦姿というのは、どうしても違和感がありました。男性版の白鳥の湖バレエみたいなものです。)だから体作りや「訓練」も重視するのですね。
 
 こうしてみると、役員の中で最近議論していた、古典群読に創造の喜びはあるか否かは、明らかです。池中実践が「唯一の完成形」なのではなく、多様で無限にあるだろう完成形の一つに過ぎない、ということだと思います。まず、基本をしっかり教えることと、創造的に発展することは、少しも対立しないというのは、重水事務局長のおっしゃる通り。また、基本を身につけさせるところでうまくいかなかったのなら、その原因と対策を講じれば良いだけなのだというのも、片桐先生のご指摘の通りでした。

 思うようにいかなくて、変な迷いにはまっていたことを、和風リア王を観て悟りました。日本の伝統芸能を生かしても、木下順二と家本実践と鈴木リアとそれぞれに違うからです。 また、最近、プロ劇団が読んだ群読CDブックを、「勢いがない、池中実践の方がよい」と残念がる人もいました。伝統的基本をふまえつつも、いろんな完成形が多様にあり、創る喜びは(高度だけれども)無限にあると思えてきました。目指す方向が見えてきたような気がします。ありがとうございました。


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 ●群読ワンポイントレッスン 3 「無声音」
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 バックグラウンド用法という技法があります。文章を読みながら、一方でバックコーラスをつけるのです。このとき、バックコーラスの声が大きすぎると、もとの文章が聞こえなくなったり、きたなく聞こえたりするので、バックコーラスは、小さい声で読みます。 ただし、弱々しく読むのではなく、小さい声だけれど元気に歯切れよく読みます。
 これは、子どもたちにとってなかなか難しいことです。

 そんなときに「無声音」を教えるとよいでしょう。「声帯をふるわせないで出す音」です。子どもには「内緒話」や「ひそひそ話し」の声といった方がわかりやすいでしょう。 さらに、無声音の大きさについて「ものさし」を教えます。
 0 すべて無声音だけの声
 1 無声音1に声を9の割合の声
 2 一段階あげて、無声音2に声8の割合で
 3 さらに一段階あげて、無声音3に声7の割合
 ・・・というようにして10くらいまでものさしをつくります。
 人数や作品によって、ここは7段階の無声音で読んでみようというように指導します。


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 ●高校の部の執筆立候補、自薦他薦ありませんか
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 会員の方で、高校の部の執筆立候補、自薦他薦ありませんか?
「高校での授業のなかで使われている群読」「教師たちの群読(校種を問わず)」「高校の学級・学年・全校活動の中の群読」がきまりません。
 ご執筆いただける方はいらっしゃいませんか。会員の方で、高校の部の執筆立候補、自薦他薦ありませんか?これから学年末に、実践する予定の授業や行事を書くこともできます。 ぜひ、立候補してください。
 
 執筆料は、原稿1編10,000円の買い取り制とします。Vの資料は1編ごとに1,000円と
します。立候補のご連絡は、Tの第1章高、Vの脚本 というようにお知らせください。

 原稿の書式は、1頁46字×17行です。
 内容としては、次の4点を書きます。
 1 解説:この群読を行うようになった経緯や場面設定の説明を書く
 2 読み手、演出ノート:何人で分読するか、群読で工夫した点を書く
 3 群読脚本:群読した脚本をそのまま載せる
 4 発展:群読によって授業や行事がその後、どう変わっていったか、また、学級・学
  年・全校にどのような成長がみられたかを書く。
 ニュース8号(本号)お毛利実践をご参照ください。

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***2004.7.30 東京日本青年会館 第3回群読大会を成功させましょう****

 重水 健介(日本群読教育の会事務局)

 日本群読教育の会 http://gundoku.web.infoseek.co.jp
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