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 日本群読教育の会 会報 35号   2003. 4.21

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 ●目次●
   朗報
   会員よりのうれしい便り
     記念号原稿
      この実践に学ぶ  坂尾・吉田・深澤・及川実践に学ぶ
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 ◆朗報◆
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 本会の次期役員に坂尾・押木先生が就任してくださることになりました。
 坂尾知宏先生は宮崎県の小学校、押木和子先生は新潟の高校の先生です。坂尾知宏先生
には常任委員、押木和子先生には事務局へお入りいただくことになりました。ご無理を申
し上げました。よろしくお願いします。
 坂尾知宏先生のHP http://www.mnet.ne.jp/~sakao/

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 ◆会員よりのうれしい便り◆
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今回の片桐、毛利、重水先生の分析が非常に面白かったと思います。
 3人3様の個性豊かな分析で、実践者の層のあつさもさることながら、研究者も優れた
方が輩出してきていると感じました。

 会報を拝読いたしました。他者の実践についてコメントする「○○実践に学ぶ」という
試みがとても新鮮で、興味深く読ませていただきました。具体的にイメージが湧いて、群
読の響きが想像できる気がします。まだまだ初心者の私にはとても新鮮でわかりやすく思
いました。新たな群読との接点の持ち方に目から鱗です。

 私は「照れ」の克服に頭を悩ませています。 声を出して読もうと言っても結局声を出
しているのは私だけ…ということがよくあります。どうしたら群読の楽しさを伝えられる
か考えてみたいと思います。

 今週末(日曜日)は今年初めての参観日です。国語で群読の授業をやるか、金子みすゞ
の詩で道徳の授業をやるか、どちらかをしたいと思っているところです。

 御無沙汰しております。いつも群読についてのすばらしい情報をありがとうございます。
読むばかりで、なかなか返信も情報提供もできずに申し訳ありません。
 今回の会報には私の本当に拙い実践に対する、片桐史裕先生のコメントがあり、恥ずか
しくもうれしく拝見させていただきました。ほとんど群読の指導をしたことがありません
ので、無我夢中でやった実践の中から、こんなにたくさんの良さを発見していただき、本
当にありがたいと思います。私自身、全く気づいていなかったことも多く、大変勉強にな
りました。同時に、しばらく前に行った練習の様子などが思い出されてなつかしく感じました。

 今年度はこの学級の子どもたちの担任ではありません。そういう意味ではよい思い出の
一つにもなりました。ありがとうございました。

このような機会を与えていただき、感謝しております。今後も、微力ですが、群読の会
に協力できればと思っております。
今夜はまだまだ冷え込むようです。どうぞお体ご自愛ください。

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 ◆坂尾実践に学ぶ     澤野郁文◆
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 大人になってから多くの人は腹の底から声を出すということを忘れているが,坂尾実践
では,見事に参観授業に参加した大人たちが大きな声を子どもと共にで出す楽しさを味わ
った。なぜそれができたのか。学ぶべき点はたくさんある。
 第一に,最初の参観日という新しい集団との出会いを,さわやかで元気よく前進的なト
ーンにしようと考え,群読で授業をまとめたという発想に学びたい。その楽しさをたった
の45分で味わってもらうべく、順序立てて群読の世界に子どもだけでなく大人をも引き
込んでいる。徹底的に群読教材を研究し、分析し、タイミングよく提起していったからで
きたのであろう。
 第二に,最初に「地引あみ」を取り上げ,群読の楽しさを自然に体感させていく導入法
に学びたい。「少しずつ大きな声で」斉読させることによって,新しい集団の中で開放的
になれないでいる子どもたちや声を出すことになれていない大人を徐々に
 声の輪に引き 込んでいくというウォーミングアップがすぐれていた。
 第三に,「どっちの学校いい学校」を取り上げ雰囲気をさらに盛り上げている点に学び
たい。すっかり打ち解けたムードができたところで元気な声と笑いが響きわたる教材を設
定していた。
 第四に,効果的な身体表現を取り入れている点に学びたい。ここで体を動かすことによ
りさらに緊張が解け,安心して存分に声が出せるはずだ。そして「はやくはやく」のころ
になるともうユーモアたっぷりと表現できる余裕が生まれ、大爆笑の渦ができた。見事と
しか言いようのない段取りである。
 群読は楽しい文化であり誰でも気軽に参加できる活動である。が,いざ自分が仕切って
全体にその楽しさや迫力を味わってもらおうと考えると、少々勇気がいる。そんな不安を
持つ教師に,すばらしい群読導入法を示唆してくれた実践であった。
                             <澤野 郁文>

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 ◆吉田実践に学ぶ     澤野郁文◆
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「ちいちゃんのかげおくり」は,すぐれた平和教材であり,わたしも吉田氏同様感極まっ
て涙につまり、子どもの前でろくに音読できなかったことがある。この教材を取り上げた
ことに感動している。
   以下、この実践から次のことを学びたい。
 第一に,この報告は朗読劇の実践である。原文の一字一句をすべて表現する朗読と演劇
とをつなぐ群読に近接する中間文化である。この脚本から文学教材を声の文化として表現
する方法を学びたい。
 第二は「群読ならやれそう」という姿勢に学びたい。感動した合唱をなんとか自分でも
実践したいが難しい。そこであきらめることなく、合唱以外の方法・自分でも取り組めそ
うな方法を考え,朗読劇という新しい表現によって創りあげた。この創造性と前向きな意
欲がすばらしい。文化を創るとはこういうことなのだろう。
 第三に,指導の流れに学びたい。子どもと共に試行錯誤しながら表現方法を模索する様
子が目に見えるようである。教師もその難しさに悩むが,その真摯な気持ちが子どもたち
に反映して,いろいろなアイディアを導きだした。それはすぐれた指導言や演出による。
「走って!もっと!」などの指導言や,句読点移動・トーンダウン・スピードの変化等の
演出は,すぐれて新鮮である。ここに、子どもたちと共に新しい文化を創造する教育の原
点をみることができた。
 第四に、発展活動がすぐれている。 学習発表会に閉じることなく、父母に聞いてもら
う。さらに、老人施設にて上演する。とくに、お年寄りが笑顔で拍手し、涙を流したりし
てくれたことで、自分たちの表現が伝わり、生きる自信と学級文化への誇りをうみだす。
その誇りの発展のとして企画されたCD化も、今日的な総括の方法である。わたしも録音
を聞かせていただいたが、子どもたちの、のびのびした力感にあふれた表現力に圧倒され
た。教師の指導性の、ひときわ光る報告であった。                   <澤野 郁文>

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 ◆深澤実践に学ぶ     重水 健介◆
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 私的な会話はできても、授業や話し合いのような公的な場面では自分の意見を言えない
子どもが増えている。そうした状況の克服に、学級行事を通して挑んだ実践である。この
報告から次の四点を学んだ。
 第一は、活動を通して指導したことである。
 ふつう、子どもたちに向かって「堂々と発表しよう」と、教師が働きかけていく例が多
い。しかし、深沢先生は、群読を用いて、子どもの発言力を育てようとした。認識と行動
を通して子どもの生きる力を育てるという鋭い教育理念をみることができる。
   第二は取り上げた題材のおもしろさである。
報告された六つの作品は、どれも、ことば遊びの題材として、じつにおもしろい。内容
も小学校六年生にふさわしく、実際に声に出すことで、その楽しさを子どもが実感できる
作品である。深沢先生の群読研究の深さを学びたいものである。
第三は、子どもたちによる批評である。
 自分の意見を述べる力は、人の意見を聞く力と一体となったとき本物になる。その意味
で他のグループの発表を批評させたことはたいへんすぐれている。
 さらに、その内容がいい。子どもの批評に、「お経のような読み方がよかった」「きち
んと礼ができていた」「大きな声が出ていた」とある。この三つの批評の視点は、知育・
徳育・体育という教育のめざす三領域をとらえており、批評のセオリーとして参考になる。
また、子どもたちもセオリーにそった見事な批評をしている。深沢先生の慧眼とその指導
力に感嘆するばかりである。
 第四は、群読後の子どもの変化である。
 無口だったYくんが、その後の野外活動で実行委員立候補し、代表としてあいさつする
までに成長した記述がある。群読で得た力が、子どもの体に蓄積した成果である。子ども
の心と体をひらく活動とは、こういうことをいうのだろう。
 群読を通して、子どもの抱える諸問題の克服に明るい展望を与える実践報告であった。
                           <重水 健介>

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 ◆及川実践に学ぶ     毛利 豊◆
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 群読と演劇とを融合した教育実践である。身体表現をふんだんに取り入れ、いくつもの
脚本を劇仕立てでつなぎ、全体を一つの物語に仕上げている。
 群読は「声の文化」である。複数の声が混ざりあって醸し出す味わいが本領である。し
かしだからといって、他の要素を加味してはいけないという決まりもないと思う。現に、
群読教育の創始者・家本芳郎氏も、早くから群読と合唱・交響楽を融合した「交響組曲
  よこすか」へとまとめておられる。もともと群読は、演劇や古典芸能や大衆運動等にその
ルーツをもつことを思えば、文化活動としてこういう融合的活動があってもおかしくはな
いはずである。
 その点で、学びたいことの第一は、形態・領域にこだわらず、大胆に隣接領域をまたぎ、
それをつないでいることである。既定の台本通りに演じることよりも、即興性を大事にし、
子どもの思いでどんどん創り出させたこと、教師も毎回新鮮な発見をし、やらせるストレ
スからも無縁であったこと、これらは自由演技的な演劇教育になっていたことを示してい
る。そこには表現することによる癒しや再決断、親への要求による自我の覚醒などもあっ
たのではなかろうか。
 第二は、「面白いや!」という感覚が子どもの世界を駆け抜けている点である。少人数
の有志『レインボーjr』が群読遊びで面白さを堪能し、彼らが心から仲間を誘う力で、
セミ遊びを笑いと拍手の中で成功させ、それが学年群読の発表会を生み出してゆく。活動
内容の魅力が集団づくりのエネルギーとなっている。二学期末集会では完全に子ども集団
による制作・発表にまで高まっている点に、組織主義に陥らない学級づくりの正統が、今
日的に展開されている姿を見る。ソロをやりきったすっきりした表情に刺激されて、他の
子どもも立候補する。群読活動が、爽快感と連帯感を生んでいるのである。
 群読教育の多彩な広がりを予感させる、希望に満ちた今日的な実践である。
                               <毛利 豊>